だいたい山旅〜遊びたいのも山々

人生も折り返しを迎えたアラフォーおじさんの荒波一万尺

血と涙と枯れ大豆 ~飛び交う散弾~

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我が家の黒ずんだ玄関に無数の枯れた大豆。

 

これは枯れた大豆の様な形をした一人の男の『枯れ果てた涙の結晶』かも知れない。

 

時は2/3の20時過ぎ。

 

底なし沼の様な職場から脱出に成功した男。

 

その男は心身ともに疲弊しきって、安息の地である己の家つまり『自宅』を目指し真っ直ぐに帰る『真面目』『実直』『おっちょこちょい』という言葉がぴったりの41歳を終えようとしている人物。

 

そんな男な為か、帰り道は何の身にもならないひとり一日反省会をしていた。

 

『あぁー、なんであのタイミングに重なっちゃったのか…もっと良い伝え方あったんじゃない?そう言えば昼のクリームパンとピザまん、ラー油唐揚げは組み合わせとしてどーなの?普通ピザまんとラー油唐揚げの間にクリームパン食べる?その上飲み物リアルゴールドって・・・』

 

不毛な自問自答を繰り返す。

 

 外は寒い雨。

 

いつもと同じように車を停め、門戸を閉め玄関で足を止める。

 

いつもと同じ真っ暗な玄関。鍵を鞄の底から取り出し錠を捻る。

 

雨の音にかき消されるその『カチャッ』という音。

 

ドアを開けた瞬間、目の前の闇から閃光と共に鳴り響く散弾銃にも似た壁に当たる複数の破裂音。

 

あわててドアを閉め瞬間的に『節分』というイベントはかろうじて浮かんだ。

 

しかしである。

 

雰囲気が明らかに『殺』であることを直感的に感じる。

 

壁を貫く音が明らかに『殺』なのと同時に無言・無音。

 

節分に必ず有るあのかけ声ひとつ無い。

 

野生動物がこちらに向かってくる時に感じるアレ。

 

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普通の家庭の節分はこうではないのか?

 

『お父さん帰ってきたらさぁ、鬼は~外って言ってさぁ、びっくりさせようよ』

 

『えー、そんなことでお父さんびっくりしないでしょ?』 

 

『お父さんもしかしたら赤鬼の格好とかで帰ってきたりして~』

 

『そんなことするかな?』 

 

『そうだよね~はっはっは~』

 

きっとこんな感じなんだろう。

 

去年の記憶するところではこうだったはずだ。

 

まさか一年にして・・・

 

間合いを取りもう一度ドアを開ける。

 

まだ10cm程だろうか、そんなに開いてないドアに向かって炸裂する散弾。

 

確信に変わる『殺』

 

あるはずの笑い声、会話、全てゼロ。

 

あの健康の象徴、たんぱく質のデパート大豆。日本人が愛してやまない大豆。

 

2019年2月3日岐阜。

 

そんな大豆が『殺』の道具になった日。

 

そして、国際法や条約でもきっと禁止されているであろう行為、暗闇からの無言の攻撃行為。

 

我が家の女性たちはその重い扉を開けてしまったようだ。

 

外は寒い雨。こんな所に長時間いるわけにもいかない。

 

もう全身に銃弾を浴びるほか道はない。

 

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冒頭の画像はその惨事に巻き込まれ散っていった男の血と涙の残骸。

 

自宅玄関に崩れ落ちる瞬間に彼の目に映ったものは、娘の肩越しの暗い部屋の奥で光る一人の女のメガネの縁と、微かに上がる口角。

 

そして崩れ落ちた己の膝に突き刺さる枯れた大豆。

 

その後夜の闇に響き渡った言葉。

 

『ママは〜内、チチは〜外』